永昌院について

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永昌院の文化財

十一面観世音(じゅういちめんかんぜおん)

十一面観世音(じゅういちめんかんぜおん)山梨市指定有形文化財

永昌院の前身は真言宗の寺でした。
この観世音菩薩は、その時代の本尊であったと伝えられています。

像の頭部と体部の主要部を一材から彫り出す一木造で、約800年前、平安時代末期の作とされています。

永昌院銅鐘(どうしょう)

永昌院銅鐘(どうしょう)山梨県指定有形文化財

永和2年(1376)に現在の北巨摩郡明野村、大林寺の鐘として鋳造されたこの鐘は、応永27年(1420)には甲府の東光寺へ、そして永正元年(1504)甲斐守護武田信昌の寄進により永昌院へ移されました。

その後、武田勝頼のときにはこの鐘を戦陣に用い、長らく遠州に流落していたところを、元和(1615〜23)のころふたたび永昌院に戻されました。

平成7年(1995)までは鐘楼にありましたが、現在は本堂横の観音堂に保存されています。

開山頂相(かいさんちんぞう・画像)

開山頂相(かいさんちんぞう・画像)絹本著色神嶽通龍禅師画像
山梨県指定有形文化財

開山(第一代住職)一華文英(いっけぶんえい)の肖像。弟子である第二代菊隠(きくいん)の作によります。
肉眼では見えませんが、赤外線撮影により、上部にくっきりと讃(さん)が浮かび上がります。

開山紫衣(かいさんしえ)

開山紫衣(かいさんしえ)山梨市指定有形文化財

永昌院の開山、一華文英(いっけぶんえい)大和尚が、後柏原天皇より「紫衣」ならびに「神嶽通龍禅師」の称号を賜りました。

武田信昌の墓

武田信昌の墓山梨市指定史跡

武田信昌は、文安4年(1447)甲斐の守護職武田信守の子として生まれ、永正2年(1505)9月16日、59歳で没し、ここに葬られました。
法名は「永昌院殿傑山勝公大禅定門」。

左は五輪塔(ごりんとう)、右は宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、両塔ともに「永正2年9月16日」とあります。

現在、墓は風化を免れるため、保存堂が建立されています。

経蔵(きょうぞう)

経蔵(きょうぞう)山梨市指定有形文化財

江戸時代、寛政3年(1791)に建立された土蔵造りの建物です。

 

経蔵(きょうぞう)

内部には「輪蔵」という八角形の回転式書架が設置され、8個の書庫には1344冊の「黄檗版一切経」が収容されています。

永昌院総門(えいしょういんそうもん)山梨市指定有形文化財

江戸時代中期に建立された当山最古の建築物です。
平成26年に解体組み立て直しの改修が行われ、建立当初の形に復元されました。

永昌院文書(もんじょ)山梨市指定有形文化財

 

・菊隠録 永昌院第二世菊隠(きくいん)の法語集。

・永昌院典籍 祖師の語録、書物の研究書、写本等11点。
「五灯会元」(五山版)、「禅林類聚」(臨川寺版)、
「正法眼蔵」(永昌院本)「頭書字彙」、等。

・永昌院五人組帳 江戸時代初期の隣保組織の史料。

・永昌院文書 室町時代から安土桃山時代にかけての古文書11点。
「後奈良天皇より四世吾宗純嘉に賜った勅書」。ならびに「三条西公頌書」、
「武田晴信(信玄)判物」、「武田晴信(信玄)条目」、等。

・その他の寺宝 武田信玄より6世住職謙室大益に寄贈された鸞鶏掛絡(らんけいのから)等。